私の物語

どこから始めたらいいだろう?

一瞥の体験があったのは、2007年の秋頃だった。

だから、ちょうど10年前

15で高校を中退して自己探求が始まって、今年で33年目。

自分という謎、宇宙の謎、存在の謎、

気が狂いそうになるほど、何かが腑に落ちなかった。

海外に飛び出して、

グルジェフ・ウスペンスキーの第四の道のスクールに落ち着いていた16年間。

スピリチュアリティ、所属、コミュニティが満たされ、意味を感じていた。

もともと気づきと意識の探求が、好きなんだろうな〜。

グルジェフ・ウスペンスキーの第四の道では、
ワークは日常生活の中にある。

徹底的な自己観察に始まって、
自己想起という練習を、
どんな些細な否定的感情をも表出しない努力と一緒にワークする。

今ここに起こっていることに、
注意を分割して、
その全チャンネルに気づこうとするプレゼンスのストレッチ。

とっても修行系。
典型的なプログレッシングパス(段階的に前進する道)。

僕の一瞥体験は、
実はこのとっても修行系な注意の酷使に起因する。

場所は、カリフォルニア州のグラスバレイという、古き黄金発掘の田舎街。

その頃ティーチャーが、
現在に存在するためのSequenceなるエクササイズを指示したのだが、
僕にとっては、それは私自身の意識の理解とはそぐわない、
第四の道から逸脱するような一連の動きのように見えていた。

とはいえ、自分の小さな意志は意図的に放棄し、
日常生活一コマ一コマで、注意をフルに駆使してプレゼンスを鍛えた。
今ここに、注意を分割し、ストレッチし続ける。

グラスバレイの街を歩きながらSequenceを、何度も続けて練習し、

ある瞬間、これが最後だと決めた!

注意が、張り詰め続けたストレッチから解放され、
気づきそのものの源に戻ったのだろう(と今だから理解できる)。。。

まるで、あらゆるものの背後で気づきそのものが輝き始めたかのように、
すべてが生き生きとするアハ体験に包まれ、
意識は軽く、何がリアリティーであるかを教えてくれた。

そのリアリティーの輝きは、2~3日続いていたように思う。

気づきそのものが、既に目覚めていることは明らかだった。

気づきそのものは、色もなく形もなく、境界もなく、
無限で、不動で、不滅で、年を取らず、
どこかから現れてきた形跡も、どこかへと消えていく予兆も全く見られない。

燦然と、内なる身体から外なる世界へと実はシームレス(無境界)に広がる知覚の地平に輝いていた。

ここまでが僕の10年前に起こった一瞥体験。

ノンデュアリティのダイレクトパスは、実はここからが面白い。

真理は、一瞥され、探求は終わる!

ところが、ノンデュアリティの教えが、それぞれのマインドー身体にユニークに体現されていくプロセスが始まるんだ♫

(アジャシャンティは体現(Embodiment)、ルパート・スパイラは変貌(Transfiguration)という表現を使っている)

このプロセスに、やっと節目がやってきたのだと感じている(この2ヶ月で起こっているコトを参照のこと)。

ユニークな表現が、いのちからほとばしるのを感じて、
このブログも一気に創っています。