伝統的スピリチュアリティとしての歴史
アドヴァイタ・ヴェーダーンタの教えは、ヒンドゥー教のヴェーダーンタ学派において、8世紀のシャンカラによって唱えられた学説である。ウパニシャッッドの梵我一如思想を徹底したものであり、ブラフマンのみが実在するという説である。
伝統的には、その秘教的なスクールで、30年から40年もかけて修練をし準備のできた者だけに伝授された教えであった。
あまりに理解が困難であったため、段階的に前進するアプローチであるプログレッシングパスに形を変えたこともあった。
ダイレクトパスー現代に蘇生したノンデュアリティ
前世紀に、ラマナ・マハルシとアトマナンダ・クリシュナ・メノンが、アドヴァイタ・ヴェーダーンタの教えを、今言われているダイレクトパスの形として、蘇生させた。
ダイレクトバスは、マインドが注意をその源に直接に向けるアプローチで、下準備を必要としない。
ある意味、あらゆるプログレッシングパスは、ダイレクトパスへの準備とも言える。
伝統や習慣から自由であり、今ここに起こっている直接経験だけを頼りに、根拠の詳細な調査と経験の全領域を含むことの両面を兼ね備えたダイレクトパスは、今の時代と文化に最も適したアプローチだと、私も思う。
ダイレクトパスを現代に伝えている人たち(一部)
ラマナ・マハルシと同様、既に亡くなっているが現代に未だ影響を及ぼしている存在に、J.クリシュナムルティがいる。その独自性から、どこにも分類されることはないが、彼の伝えていたことは、ノンデュアリティのダイレクトパスだと思う。彼の「見るものは見られるものである」「最初で最後の自由」「真理はそこに至る道のない土地である」といった表現は、他のダイレクトパスのティーチャーが時に引用する表現でもある。
アジャシャンティ:http://www.adyashanti.org/
グレッグ・グッド:http://greg-goode.com/
ルパート・スパイラ:http://non-duality.rupertspira.com/
興味深いことは、ダイレクトパスに至る前にそれぞれが異なるプログレッシングパスで準備してきたこと。アジャシャンティは禅僧だったし、グレッグ・グッドは西洋哲学博士だし、ルパート・スパイラはヴェーダーンタとグルジェフが西洋に紹介した第四の道のプログレッシングパスに精通していたと言われている。
ヴェーダーンタとタントラの相補的アプローチ
純粋な意識に気づき、それを認めたとしても、全ての領域に理解が浸透するには時間がかかります。特に、感じることの領域において、「分離した自己」の残骸が反応することが長い間続くでしょう。。。
- ユングは、ラマナ・マハリシについて「白紙の中の白いスポットのようだ」と言っていました。
- 時に、神秘的な様相は、分離した自己の仮面や隠れ蓑になるのです。
- このアプローチを、感覚と知覚のタントラ・ヨガとルパート・スパイラは呼んでいます。
タントラのアプローチでは、経験に向かいます。Vedantaのアプローチが「私は誰かである」から「私は誰でもない」に向かうとすれば、Tantraのアプローチは「私は誰でもない」から「私はすべてである」に向かうのです。
禅の伝統では、Vedantaの道は偉大な死として知られ、Tantraの道は偉大な再誕として知られています。
広い意味でのノンデュアリティ
奇跡のコース:http://www.jacim.com/acim/
「徹底した非二元論的な世界観である。すなわち、神の#愛または神の世界(Heaven)こそが現実(Reality)であり、物理的世界はエゴが投影した幻影であって現実ではない。この世界においては神の#愛の追体験だけが現実への接触であり、#奇跡であるとする。」
ダグラス・ハーディング:http://www.headless.org/
「実践することで本当の自分自身を知るに至るという、瞑想の現代的な手法を開発した。彼の瞑想の手法は、一連の簡単な実験を行い、ある物事に対する見方を逆転せざるをえない主観的な気づきを導くという形式で行われる。これにより、実践者は、宇宙との一体感を実感し、楽しむことができるとされる。」
NVC:http://nvc-japan.net/
「 Nonviolent Communication(非暴力コミュニケーション、英語の略称NVC)は、コミュニケーションにおいて相手とのつながりを持ち続けながら、(普遍的である)お互いのニーズが満たされるまで話し合いを続けていくという、共感を持って臨むコミュニケーションの方法である。
カール・ロジャーズの来談者中心療法を学んだ心理学者マーシャル・ローゼンバーグ(1934-2015)博士によって、カール・ロジャーズらの協力のもと体系付けられた。」
ノンデュアリティのメッセージ♡
- 私は、生まれたこともない、死ぬこともない、不動で不滅な気づきそのもである。
- すべては、私と同じこの気づきそのものでできている。
- 同じ一つの意識、気づきそのものが共有されている。
- それは、良い悪いといった評価や判断の影響を全く受けないリアリティーの実相である。
- 主体と客体の究極の二元性が溶ける今ここに、揺るぎない至福の源泉が永遠に存在している。
大切なことは、これらのメッセージが直接の経験を通じて気づきそのものを吟味することによって、確かめられることです。
メッセージを言葉で伝えることには限界があるのです。ルパート・スパイラが時に述べるように、「もし、真実だけを伝えたかったら、黙っていた方が良い」のでしょう。
J.クリシュナムルティが星の教団をあえて解散したように、「真理はそこに至る道のない土地である」からです。
かたや、気づきそのものが、分離した自己に向けて、戻ってくることを絶え間なく呼びかける恩寵があります。
そして、決して分離していなかったと心底悟る真理への道程は、まるで型に嵌まることなくそのユニークな見せかけで、その恩寵に応えるかのようです。