「見るコト」のネットワーク

やはり、基本は「見るコト」だなと思う。

視覚で見るだけでなく、注意で「見るコト」。

だから、「今ここ」に生起する「これ」全部。

「見るコト」を土台にしていないと、言葉が宙を浮いて、バベルの塔になってしまう。注意が実際になぞった「これ」だけを互いに語るならば、オープンで誠実なネットワークが産まれるだろう。

  • 言葉は概念を指し示していてもいいが、同時に「今ここ」に生起している「これ」をも指し示しているコト。
  • 概念だけで閉じないで、常に「今ここ」に立ち帰るコト。
  • 「今ここ」に、連想が起こっているコト、イメージが生起したコトに気づいているコト。
  • どんな「投影」が立ち顕われ、どんな「判断」が生じ、どんな「感情」が「今ここ」に生起するか?を「見ているコト」。

「今ここ」があまりに豊かだから、そのうち言葉で表現されるのはごく僅かだ。表現している最中にも、「今ここ」は刻々と変化している。それでもそこで語られる言葉は宙には浮かない。誠実さが鍵となる。

「今は言いたくない」コトが生起しているならば、そんなコトが起こっているとシェアーできる。それに「興味が湧く」のならば、その事実を「判断」無しにシェアーできる。「判断」が生起するならば、どんな「判断」が生起したか?をシェアーすればいい。

「見るコト」に徹して、注意がなぞった「世界」がどう生起しているかをシェアーするネットワーク。数学や物理学だって「ここ」から始めるコトができると思う。デイビッド・ボームの志向した「ダイアローグ」に近い。

「見るコト」のネットワークは、やっぱり私のワクワクだな。

どんな風に実現するのだろう?(ワクワク。。。)