見るコト、再び

「見ることが意味するのは、複雑な繋がりへ自分自身を完全に開き、それらが私の中で作用し、私に影響を及ぼすままにさせるということです。」

という言葉は、ファミリー・コンステレーションを発展させたバート・ヘリンガーの言葉(『ファミリー・コンステレーション』p225)。

私が旧ブログのタイトルにまでしていた「見るコト」に、驚く程共鳴するので、私の体験しているリアリティーが共有される希望が心踊るように嬉しく、興奮している。

見るコトは、単なる視覚ではない。

身体を貫いて、今ここに在る場全体を見ている。

身体は様々な力動に反応し感じているのだが、それでも「感じている」という表現では的を得ず、「見ている」という実感が明確にある。

それは意識であり、視覚では見えないものを見ている、それも身体を通して。まるで身体全体が目になったかのように。

そして、様々な力動が身体を貫くのは、決して心地の良いことではない。

それは、時に痛く苦しい。

だが、それでも「見よう」という意識がある。

360度に開かれた意識。

全体性と調和に至ろうとする意識が、根底に在るのだと思う。

「見るコト」が、まるでその究極の平安に達する究極の在り方であるかのように、

私は、貫く身体の力動と共に今ここに在って、きっとそれを見たいのだと思う。