この2ヶ月で起こっているコト
ノンデュアリティのリアリティーを垣間見た一瞥体験から、もう10年が経つ。
私が本当は誰であるのかに目覚め、
このマインドー身体の中には知覚を綿密に探しても「私」は見つからないが、
言わば、身体感覚も含めた知覚の全方向(360°)に渡って広がりベターと張り付いている、そんな気づきとしての「私」を生きてきた10年だった。
5月にカウアイ島に行ったのが、恩寵との出会いとなったのだと思う。
清廉で、静かに落ち着いていて、かつ明晰なカウアイ島のエネルギーが、きっときっかけになったように思う。
とにかく、何が新境地かというと、
奥さんに怒る事が皆無になった!
イライラしたり、
疲れて寝転がっていることが皆無になった!
いったい何が起こっているのだろうか?
気づきそのものは、そもそも目覚めているわけだから、
何か特別な経験を求めたり、完全にシフトすることとかは幻想だと理解していた。
ゆっくりと体現・変貌のプロセスが起こっているのかもしれないが、ネガティブな感情もポジティブな感情も抱擁し、一つのいのちを生きていくことができたらそれでいいんだと、半ばわかったつもりになっていた。
NVC(非暴力・共感コミュニケーション)は、とっても実践的なポスト・アウェークイング・サドナ(目覚めの後の修行)になると思う。
NVC認定トレーナーのジムが、僕のメールアドレスにnondualの文字が入っていることがきっかけで、僕らを彼らの家の一階に一ヶ月住むことを招待したくなったのだと、後で教えてくれた。
ルパート・スパイラの24の瞑想を、ここ10日間くらい、毎日1時間から2時間一緒に続けている。これも、信じられないくらいの恩寵である。
この瞑想自体にも、完璧なタイミングで出会っている!
自我(分離した自己)が身体の中に居ないと、
頭ではわかっていても、その残骸が感情的に反応する。
その時は、その残骸の反応に寄り添ってあげて欲しい。
(ソマティック・エンパシーが、とてもお勧め♫)
ノンデュアリティーの教えは、
身体の隅々にまで浸透させてあげる必要があると思う。
まるで、その浸透がある閾値を越えると、トランスフィギュレーション(変貌)が、シフトとして認められるように起こるようだ!
この2ヶ月の僕の体験は、それが確かにあったということ。
一瞥体験は、身体の中に住んでいる自我がどこにも存在していないことを発見して、解放される、自由になる、軽くなるという、そうまるでハネムーンのような体験。
その後、ポスト・アウェークイング・サドナが、体現・変貌のプロセスとして進行する。そのプロセスの中で、分離した自己の残骸が溶けていく。
きっと、このプロセスは、終わりなく続くのだと思う。
だからと言って、平坦に進むわけでもないのだろう。
質的な変化としてシフトすることも、当然あり得るわけだ。
どんな質的な変化として、今経験しているかというと、
- 気づきそのものとしての私が、より鮮明にリアルになっている。
- 身体の中が溶けていて、呼吸と一緒に、主体と客体がより親密に交わっていく感じがあり、そこにエクスタシーとも言える至福がある。
- その至福に比べると、他のものはすべて代用品なのではないかと明確にわかる!
- 食べることも、性的な快楽も代用品だったのだな〜とわかる。
- そして、その至福のネクターを、いつでもどこでも、飲もうと思えば飲めるのである。
- 身体の固まりが溶けることも、今まで1日かけても溶けなかったり、身体中が痛かったり、寝込んだりもしていたのだが、不思議に溶けるようになった。
- どういうことかと言うと、決まったハウツーがあるわけではなく、まるで煩悩を一つ一つ溶かす108の鍵が束になっていて、自動的にどの鍵が今の身体の固まりを溶かすかをその鍵束自体が見つけてくれるような感じ。
- どちらに転んでも大丈夫だし、執着がなくなった。
- 至福のネクターは、ワクワクというよりは、静かな歓びが全身、そして知覚の全方向(360°)に広がる感じ。
- そう、揺るぎない心の平安の確立。
- 私の仕事はまずはこの身体の固まりを溶かすことで、溶けたら他のすべては必ず上手くいくことを知っている感じ。
- マインドが、必要なことをしかも創造的に考えることができるが、普段は空っぽで止まっていることができる(これも、修行した禅僧が得る境地として聞いていたが、まさかこのマインドー身体に起こるとは)!
などなど。
ノンデュアリティについても、理解を刷新したように思う。
どこかでスタックしていたり、曖昧のままにしていたことが、明晰に英知とつながってわかった感じ。
そのことは、また日を改めて、書くことにします。